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焼酎のルーツとも言われる国内最古の蒸留酒、それが泡盛です。
泡盛は原料である米を麹にして、この米麹と水に酵母を加え発酵させ、単式蒸留機で蒸留するもので、基本的には500年前からこの方法で造られています。
無色透明のその雫は、飲み口爽やかで酔い覚めもすっきり・・・「芳醇な香と深いコク」が特徴の美味しいお酒です。
そのふくよかな味わいは沖縄のみならず、全国にファンの輪が広がり、最近では海外にも出荷され、最も注目を浴びている沖縄の特産品です。



泡盛だけが持つ特徴としては、世界的にも類のない黒麹菌を使う。
焼酎は白麹菌が使われています。
黒麹菌で造った麹は、殺菌力が強いクェン酸を多く生成する為、仕込んだもろみは雑菌の繁殖がかなり抑えられます。
一年中気温が高く湿度も高い沖縄で、もろみを腐敗させること無く良質の泡盛を造る事が出来るのも、この黒麹菌のお陰なのです。
又、焼酎が米麹に水と麹を混ぜて一次仕込みを、次に芋や麦などの原料を加えて二字仕込みをすることに対し、泡盛は一次仕込みだけです。
これを麹仕込みといい、仕込みを一回にすることでもろみの腐敗リスクを下げる効果もあります。
原料にタイ米を使っているのも泡盛ならである。
タイ米(インデカ米)はジャポニカ米に比べて麹を作りやすく、米の内部まで菌糸を伸ばした麹が出来るので、お酒に「コクと旨み」をもたらします。



資料提供 沖縄県泡盛PR・普及委員会

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蒸留酒の起源は紀元前300年頃の古代ギリシャまでさかのぼることができます。
13~14世紀頃には中国や朝鮮、東南アジアでも穀物や椰子の樹液、糖蜜などによる蒸留酒が造られるようになっていました。
10世紀頃にはすでにシャム(現在のタイ国)の蒸留酒が中国に運ばれていたという記録もあります。
15世紀初頭、中国や東南アジアと貿易を始めた琉球王国は、進貢船によってさまざまな貿易品を輸入し、シャムからは蒸留酒も輸入していました。
やがてその蒸留法を習い、1470年頃には今の泡盛の原型の国産化が始まったといわれています。
淘汰を重ね、磨き抜かれた泡盛は貿易の品として珍重され、中国や日本に運ばれて唯一無二の酒として喜ばれました。
1667年以降、泡盛造りは首里王府の徹底した管理下に置かれ、王府で認められた家以外での泡盛造りを禁止するほどでした。
この泡盛造りを認められたのが、いわゆる「首里三箇」と呼ばれる崎山・赤田・鳥堀の3村の住人で、古来より泡盛を造り続けてきた焼酎職と呼ばれる30戸と、追加で認められた10戸の計40戸でした。
もし泡盛造りに失敗したりすると、軽いものは蒸留機の没収、重いものでは家財没収のうえ島流しにされたといいます。

琉球王国が崩壊し沖縄県が発足した1879年、泡盛の自由化も始まり、ピーク時の1898年には760戸もの酒造業者がありました。
その後酒税法の適用や不況で減り続け、第二次世界大戦で全ては破壊され、戦後は泡盛の製造も禁止されました。泡盛がようやく復活したのは1947年、そして現在に至ります。
500年以上もの歴史を持つ泡盛が、今また熱い支持を得ているのも、飽きのこない確固たる魅力がある証拠でしょう。


「泡盛」名前の由来

泡盛の名前の由来についてはいくつかの説があります。
元々は「サキ」などと呼ばれ、歴史に登場した頃は「南蛮酒」、江戸幕府に献上するようになった頃は「焼酎」「焼酒」と呼ばれていました。
「泡盛」として初めて記録上に出てきたのは1671年のことです。
最も有力な説は「泡」説で、昔から、蒸留したてのアルコール度数を調べるため、器から器に酒を落とし泡立ち具合をみたというもので、強い酒は注ぐ時によく泡だつことから泡盛の名前が生まれたといいます。
その他にも、昔は原料に粟を使っていたからという説。
九州の焼酎と区別するために薩摩藩が「泡盛」と名付けたという説もあります。


資料提供 沖縄県泡盛PR・普及委員会

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