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2007年08月 アーカイブ

2007年08月01日

もとぶ町の概要

◆もとぶ町の概要

沖縄本島北部東シナ海に突き出したもとぶ半島の先端に位置し、瀬底島(せそこじま)と水納島(みんなじま)からなる「もとぶ町」は、公園のテーマである「太陽と花と海」の「海」を象徴とする中心的施設、世界一と世界初がここにある「沖縄美ら海水族館」と「花」を象徴する中心的施設、熱帯・亜熱帯の花々が咲く、夢の殿堂「熱帯ドリームセンター」を擁する「国営沖縄記念公園」が在り、年間300万人以上の観光客が訪れる観光の町である。

又、もとぶ町は、、古生代から中生代にかけての古期石灰岩が広く分布し、山里地区一帯は石灰岩特有の凹凸の激しいカルスト地形をしている。
山里地区のカルスト地形は、日本の代表的なカルスト地形である山口県の秋吉台や福岡県の平尾台のような温帯カルストとは違い、ベトナムやジャワなどに見られる円錐カルストに近いといわれる。また、山水画によくでてくる中国の桂林にもよく似ているといわれ、その山頂から眺める特有な地形景観は声も出ないほどの絶景である。
2006年に「国定公園」になったそうである。

もとぶ町には、7つのビーチがあり、中でも歩いて回れる小さな島、水納島ビーチは、年間約7万人の観光客が訪れる日本で「行ってみたい離島」№1だと言われています。

本部新港からフェリーで25分の伊江島、もとぶから車で約20分、今帰仁村(ナキジンソン)の運天港から出港するフェリーに揺られて一時間、伊是名村(イゼナソン)、伊平屋村(イヘヤソン)は離島観光に最適です。

海やビーチがあり、山々があり、自然に抱かれた静かな環境は心地よい癒しの町「もとぶ」としても有名です。
ビーチから眺める、麦わら帽子の形をした伊江島(伊江村)と、水納島を結ぶ水平線に沈む夕日は「もとぶ」でしか味わえない癒しの絶景です。

1月中旬に寒緋桜(カンヒザクラ)が開花する八重岳では、日本一早い桜まつりが1ヵ月間開催され、一足早い春を告げてくれます。
農業や漁業も盛んで、アセロラの発祥地としても有名で、みかん狩りや、カツオ漁は本部町ならではの季節の名物として知られています。
最近では沖縄そば屋や洒落た喫茶店、レストランが山々の頂きに増え、癒しを求める方々の新たな魅力となっています。

人口(総数) : 14,469人 (平成17年3月31日現在)
・面積 : 54.30 平方キロメートル
・標語 : 「太陽と海と緑-観光文化の町」
・町花 : ラン
・町木 : フクギ
・町鳥 : リュウキュウコノハズク
・町魚 : カツオ
・名産特産品 : みかん・カツオ・パイン・アセローラ・泡盛
・姉妹都市 : 北海道南富良野町(友好都市)
 
■基本情報
・水道 本部町役場水道課 本部町謝花75-1  電話0980-48-2501
・ガス業者・・・本部ガス(0980-47-3441) 農協ガス(0980-47-5320) さくらガス(0980-47-7377)
・電力会社・・・沖縄電力北部営業所(0980-52-2127)

・ゴミ分別状況(町役場発行・ゴミの出し方、分け方ポスター参照)

沖縄県もとぶ町の公共機関・施設の電話番号一覧

◆沖縄県もとぶ町の公共機関・施設の電話番号一覧

本部警察署本部町字大浜850-147-3315
水産試験場栽培漁業センター本部町字大浜853-147-5411
本部港管理事務所本部町字崎本部地先47-4200
本部郵便局本部町字渡久地9347-2302
上本部郵便局本部町字謝花32048-2312
国営沖縄記念公園事務所本部町字石川42448-3140

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本部町商工会本部町字渡久地447-2749
本部町観光協会本部町字渡久地863-147-3641
本部漁業共同組合本部町字谷茶2847-2500
やんばる農協本部支所本部町字大浜876-247-2501
海洋博記念公園管理財団本部町字石川42448-2741
伊江村船舶課本部連絡所本部町字崎本部523247-3940

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本部高等学校本部町字渡久地37747-2418
上本部小学校本部町字北里131748-2212
本部小学校本部町字東60547-2202
本部小学校健堅分校本部町字健堅60447-2210
崎本部小学校本部町字崎本部12747-2201
瀬底小中学校本部町字瀬底69347-2208
水納小中学校本部町字瀬底626047-4848
伊豆味小中学校本部町字伊豆味1347-2207
上本部中学校本部町字北里57748-2211
本部中学校本部町字渡久地231-147-2203
町立謝花保育所本部町字謝花75-148-3170
町立東保育所本部町字東151-247-2003
町立渡久地保育所本部町字渡久地23147-2106
町立大浜保育所本部町字大浜865-147-3756
社会福祉法人ドリーム保育園本部町字伊野波438-147-3602
私立ひまわり保育園本部町字谷茶1447-3665
私立ひかり保育園本部町字浦崎22348-2130
私立アポロ館学童保育本部町字東21747-3387

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沖縄海邦銀行本部支店本部町字渡久地15247-2605
沖縄銀行本部支店本部町字渡久地1-447-2929
琉球銀行本部支店本部町字渡久地447-2600

住宅情報

◆住宅情報

沖縄移住を決める重要なポイントは、どの地域に住むかという選択があります。本当の沖縄らしさを追求すれば、沖縄本島以外の離島となりますが、仕事があるかどうか、子供がいる場合、学校や教育の問題もあります。小さな島などでは高校が有りません。
特に、病院、介護センターなどは団塊の世代の方々には大切なことです。

もとぶ町は、自然の宝庫でありながら生活の不自由さはまったくありません。
保育所、幼稚園8施設、小学校7校、中学校5校、高校・・・1校があります。
近隣の名護市・・・高校・・・4校、国立高専・・・1校・今帰仁村・・高校・・・1校があり教育環境は十分である。
病院は3施設あり、歯科医5施設、介護施設は3施設、その他公共施設は充実しています。
(本部町ホームページ ”http://www.town.motobu.okinawa.jp/” 参照)

都市をはなれて、のんびりとした生活を望む多くの方は、きれいな海が見える家や歩いて行けるような海に近い場所に憧れますが、観光と生活をするのとでは大きな違いがあります。
夏場の台風シーズンや冬場の強風、塩害は大変です。
海まで車で10分程度で行ける距離の小高い場所も魅力的で、家庭菜園等も出来る最高の環境だと思います。
やはり遠く離れて分からないことが多いと思いますし、いきなり土地を買い、家を立てるよりもしばらくは、賃貸アパート(マンションのことをアパートと言う)か
ウイクリーマンションなどで実生活をしながらゆっくり物件探しをしたほうが良いと思います。その前に下見は大切ですので当社にお気軽にご相談ください。

もとぶの気候

◆もとぶの気候

常夏の沖縄でも、もとぶの年間平均気温は23℃前後の亜熱帯性気候。
冬の寒さが苦手な方には理想的です。年間を通じて10℃以下にはめったになりません。 それでも、町南の八重岳など山間部では真冬に4℃位まで気温が下がることもあります。 本土より約一カ月早く訪れる、梅雨を過ぎれば暑さは本格的、でも風のあるまちもとぶは、木陰に入れば快適です。

本土の真夏のよりもむしろ湿気が少なく、海が近くだから最高でも33℃程度ですから、コンクリート・アスファルトやクーラーの室外機の輻射熱のひどい本土より涼しいくらいですね。
ただし、緯度の違いから直射日光は強く特に紫外線にはご注意。
地元の天気予報には紫外線注意報があります。

また沖縄には杉花粉、麦・稲の花粉が飛ばないから、花粉症のシーズンにだけ長期滞在する人も多いんですよ。
中国から黄砂の飛来はまれにありますが、花粉の飛来はないようです。
涙目、鼻水に毎年長期間悩まされている方には天国ですよ。

もとぶの気象情報

■ 【 もとぶの気象情報 】

 1月2月3月
 気温雨量風速気温雨量風速気温雨量風速
平成13年17.498.24.218.364.68.618.3083.6
平成14年16.974.5 3.517.2593.619.4135.53.7
平成15年15.656.53.417.858 3.718.162.53.7
平成16年16.559.53.417107.53.918.9854
平成17年16.5843.517.51203.317.31293.4
平均16.674.53.617.681.84.618.41043.7
 4月5月6月
 気温雨量風速気温雨量風速気温雨量風速
平成13年21.3101.23.323.3371327.9 259.5 3.1
平成14年21.9209.53.425.31062.927.5160 3.4
平成15年22.4119.53.324.11313.126.6246.53.9
平成16年21.9119325.4180326.8188.53.4
平成17年21.3673.224.1138.53.426.7 5333.7
平均21.8123.23.224.4 185.3 3.127.1 277.53.5
 7月8月9月
 気温雨量風速気温雨量風速気温雨量風速
平成13年3222.52.630.243.5327.75873
平成14年28.8331429.443.53.2 27.8463.54.1
平成15年30.41133.330288.5328.7684.2
平成16年29.5175.52.929.492.5 4.2 28.13256.5
平成17年30.966.53.229.829.52.628.641.53.4
平均30.3141.73.229.899.53.228.2317 4.2
 10月11月12月
 気温雨量風速気温雨量風速気温雨量風速
平成13年25.522.54.121.77.54.518.7 60.53.9
平成14年24.6301.53.920.824.54.4 18.91973.9
平成15年24.5154.54.823.3180.5418.3474.2
平成16年24.7380-22.299- 19.7773.2
平成17年26.4614 22.475417.183.53.4
平均25.1183.93.422.177.33.418.593 3.7

気温℃ 毎日10:00と18:00の観測データの平均
雨量 mm   月の合計
風速 m/s   毎日10:00と18:00の観測データの平均

もとぶぐち

◆もとぶぐち

もとぶぐち|もとぶの方言

アキサミヨー
   ・・・ [意味] 驚く様、もうどうしようもない、大変だよ、の意。
サーターアンダーギー
   ・・・ [意味]【料理】団子状に揚げた菓子、沖縄風ドーナツ。
んぶしー
   ・・・ [意味]【料理】日本語で唯一「ん」で始まる言葉。「んぶしー」は野菜
      などを味噌で煮込む料理。

他にも、「ハイサイ」、「まちやぐわー」、「ジョーグゥー」、「わじわじー」など、個性豊かなもとぶぐちがあります。あなたはどれだけ知っていますか?

→ 「もとぶぐち」をもっと知りたい

音で感じる 本部(もとぶ)町の香り

◆音で感じる 本部(もとぶ)町の香り

本部町渡久地にある「渡久地ラジオ」さんのご提供により、昭和32年(1957年)当時の本部町内で収録された親子ラジオの音源をお楽しみいただけます。

 〖1〗エイサー/アナウンス(1957)
 〖2〗エイサー/伊野波区青年会(1957)
 〖3〗ウシレーク/辺名地区(1957)
 〖4〗ウシレーク/並里区(1957)

ご案内
親子ラジオCDは、トグチラジオさんで発売中!
・親子ラジオCD/1957年 エイサー ¥1500(税込)
・親子ラジオCD/1957年 ウシレーク ¥1500(税込)

お問い合わせは
http://www.hi-ho.ne.jp/toguti-radio.TGMN.html
toguti-radio@hi-ho.ne.jp

ご先祖祭りで一番大きい 清明祭

ご先祖祭りで一番大きい 清明祭

 沖縄では、4月から祖先祭「清明祭」が始まります。方言では「シーミー」と言い、お墓で行う伝統行事としては一番大きな祭です。本土の二十四節季の清明の頃にあたります。春分の次が清明で、それが終わると穀雨となります、つまり雨模様の日がつづくわけです、そして立夏となり沖縄の熱い夏となるのです。

伝統文化である「シーミー」は「ウシーミ」と呼ばれる地域もありますが、本部町(もとぶ)では「シーミー」と呼ばれています。

古くからある沖縄の「シーミー文化」は中国から伝わったとされ、「清明の節」の期間に先祖のお墓に親戚が集まってお線香やお花、重箱料理をお供えをして供養をするお祭です。
「清明の節」とは、「食物が成長を始める時季」という意味で活力に溢れた季節を意味しています。

沖縄のお墓は、骨壷が大きいので小さな家みたいに大きな墓がほとんどです。その中で、門中墓(もんちゅうはか)といって、一族全員が同じお墓に入る伝統があるため、非常に大きな墓もあります。
沖縄に始めて来られた観光客が「沖縄は小さい家の団地がたくさんありますね」と聞いたらしいのですが、何のことかと思いきや、傾斜に立ち並んでいるお墓のことでしたので大笑いをしたという話があります。

沖縄亀甲墓
昔ながらのお金持ちのお墓は、形が亀の甲羅に似ているところから「亀甲墓」と言われ非常に大きなお墓になります。実はこの形は、女性の子宮をたとえたもので、墓の入り口は産道に当たることになります。
人は母体から生まれ、死ぬとまた戻る、という「母体回帰」の考えから来るものとも伝えられています。

「シーミー」でお供えする料理の主役やっぱり女性陣で、おばーを筆頭に、お母さん、お嫁さん、娘さんとみんなで料理の準備をします。
おばーが監督兼コーチとして料理の指示しながらみんなでやっています。ちなみに、男性陣は朝早くから墓掃除で、周辺の草刈や木が生い茂っていたら枝うちなど、これまた忙しいです。

 お供えする料理の中身は、赤かまぼこ、三枚肉の煮付け、結び昆布、厚揚げ、魚天ぷら、お餅を重箱に詰めます。果物やお菓子もお供えし、昔は豊かではなかった沖縄ではかなり豪華なご馳走です。食べ物のなかった時代に、何かの行事の時だけご馳走が食べらることに大きな喜びがあったようです。
栄養的にも、良質なたんぱく質である豚肉、豆腐、かまぼこ、ミネラル豊富な昆布、ゴボウ、でんぷん質の田芋などバランスが良いだけでなく、日持ちしやすい内容になっているのです。炎天下の中でも、ご先祖様にしっかりと食べれるように日持ちした料理をお供えして、生きている我々も「うさんでー」するのです。

「うさんでー」とはお下がりのことでご先祖様にお供えしたお下がりを皆で食べることを「うさんでー」と言います。

「シーミー」の時は、沖縄各地で生活をしている親戚が一堂に集まる最大の行事で、本土各地からこられる方もいます。久しぶりに顔をあわせ近況を聞いたり、子供たちは久しぶりに会ういとこ達と遊ぶことにより親戚とのつながりを学んだり、ご先祖様に感謝の気持ちを忘れてはならないと言う心の温かさを、祖父母、両親、親戚のおじさんおばさんから学ぶと言う生きた教育が「シーミー祭」には育まれています。

もとぶの風習、風俗

もとぶの風習、風俗

沖縄の戦前は、ほとんど旧暦で正月やお盆を迎え、その他行事も旧暦でした。 復帰後は西暦で行事を行う地域もありますが、沖縄独自の風習があり、今でも旧暦で行事を行なっております。 もとぶでは旧暦行事がほとんどです。


























































































































旧暦1月1日 ●正月元旦
  本土とは異なりおせち料理はありません。豚肉料理が主体で、にんにくの葉っぱと豚の耳やつらの肉を炒めた料理と豚のあばら骨、大根、結び昆布の汁を仏壇にお供えをした後、お下がりを食べて正月をします。

今では、ほとんど新正月になりつつありますが、もとぶは旧正月も多く正月を2回やっている家庭が多いです。
  ●ハチウクシー(初興し)初仕事のことです
  その年の初めて仕事をするときに行ないます。

拝む例 )

ヒヌカンに線香を立て「私は、戌年の憲勇(けんゆう)です。本部町浦崎のアルマジャパンに勤めておりますが本日より仕事を始めますのでどうぞ一年間お守りください」とお祈りします。

※ヒヌカンとは火の神様のことで、家の台所のコンロの後ろ上に棚を作り、こぶしより少し小さめの石を3個並べて立ててあり、石の前に線香立てが置かれています。火の用心の意味もあり非常に大切にします。

旧暦1月7日 ●ナンカヌシク

(七日節句と言い、本土の鏡開きと似ています)
  旧1月16日から仏事(仏壇ごと)が始まりますので、松飾などの派手な飾り物を片付けます。ヒヌカンと仏壇に「じゅーしー」をお供えし今年一年の家族の健康を祈願します。

※じゅーしーとは、ご飯と同じ硬さぐらいの「おじや」のこと

旧暦1月16日 ●ジュールクニチー(16日)
  1月16日はあの世の正月と言われており、お墓にお参りして料理(重箱料理、お餅15個)をお供えし、ウチカビをを焼いてご先祖様の供養とします。特に、昨年亡くなられた他人の家庭では、ミーサー(新十六日)と言い、親戚、近所方々仏壇にお参りに来ます。

※ウチカビとは、あの世のお金です。燃やすことで受け取ってもらえる言う言い伝えがあります。

  ●ヒガン(お彼岸)
  彼岸の中日をはさんで前後3日の7日以内に仏壇にごちそうをお供えして、祖先供養、家族の災害除去、健康祈願を行う先祖供養のお祭りです。       

※彼岸とは、現世と来世の境を川にたとえ、煩悩の多い現世の川のこちらの岸(此岸)、悟りの境地である来世を川の向こう岸(彼岸)と呼ぶことに由来していると伝えられます。

旧暦2月 ●清明祭(シーミー)
  中国から伝来した祖先供養の行事で親族揃って墓参りを行います。その日はお墓の掃除、草取り等をしてお墓をきれいにします。

土地の神様にお礼をすると共に、親族一同が先祖が祀られている所で仲良く歓談するすることで先祖供養をします。
旧暦3月3日 ●浜下り(ハマウリー)
  女性がごちそうを持ち寄って浜辺で遊び、身を清める儀式とされています。女の子の健康と、家族の健康と繁栄を祈ります。

※三月御重

ハマウリーの時に作られる御重で、山海の幸が詰められた華やか重詰め料理、赤飯やおにぎりやよもぎ餅、三月菓子(サーターアンダギーのような物)も持って行きます。

旧暦4月 ●アブシバレー(虫払い)
  芽が出て、作物が実る時期には、虫が大量に発生し作物の害虫となるため、虫払いとして各地で行われます。

悪い風や空気を押しのけて、福徳を招き作物の実りと恵みをお願いします。
旧暦7月7日 ●七夕
  本土の七夕とは違い、お盆の前にお墓の掃除をして先祖にお盆が近いことを報告します。

ウンケー(お盆のお迎え)の火には家に来て下さいと案内のお願いをする。
旧暦7月13日 ●ウンケー(お盆のお迎え)
  門の前でローソクと線香をつけて「ご先祖様どうぞお入りください」とお迎えし、供えている線香を持って家の中に入り仏壇の香炉に立てます。

ご先祖様は3日間はお仏壇に滞在すると伝えられます。
旧暦7月15日 ●ウークイ(先祖を送る)
  代表者が線香を12から13本位立て、子や孫は自分自身からという意味で線香を3本づつお供えします。

全員で仏壇に向かってウートートします。ウチカビを燃やしたらお土産と一緒に門前で手を合わせてお見送りします。

※ウートートとは、手を合わせて拝むことであり、沖縄は信仰する宗教が無いため、お経がありません。自分の言葉で願い事を話したり供養をします。

旧暦8月8日 ●トーカチ(米寿のこと)
  旧暦8月8日に行う数え88歳のお祝いです。長寿の祝いとして、また子孫の孝行心を表す行事となっています。ヒヌカンと仏壇に線香を上げ、長寿のお礼と子孫の繁栄を願います。

お祝いでは、米寿を迎えた方を座らせ、前のテーブルの上に盃と白砂糖が盛られており、お祝いに着た方々に「あやかり」の意味で 盃を取らせ、お箸で砂糖を手の平に乗せてあげて食べてもらい長寿をあやかります。
旧暦9月7日 ●カジマヤー(風車の意味)
  数え年97歳の長寿者を祝います。この年になると童心にかえるとされ、本人にカジマヤー(風車)持たせて盛大に祝います。最近では車でパレードをするところもあります。
旧暦12月8日 ●ムーチー
  邪気払い効くといわれるサンニンガーサ(月桃の葉っぱ)で包んで蒸したお餅のことでこの餅を食べることで厄払いや悪霊払いをします。

初めに出来たムーチーをヒヌカン、仏壇に線香を上げて健康祈願と今年一年の感謝をします。
旧暦12月30日 ●年の夜(トゥシヌユールー)大晦日のこと
  本土では、大晦日に年越しそばを食べて年を越しますが、沖縄では豚肉汁(豚肉、大根、結び昆布の汁)を食べますが、食べる前に5cm位に切った「にんにくの茎」をお皿に乗せて出し、それをお箸で取り一口ガリッと噛むことで年を越すと言われています。

最近ではほとんど見られなくなり、本土並みに沖縄そばで年越しをしています。その後は元旦、三が日にかけてお参りに行きます。

もとぶの民話

≪伊野波の石くびり≫・・・方言は「ぬふぁ ぬ いしくびり」

folk_001_02.jpg伊野波は本部町発祥の地として知られ、寛文6年(1666)今帰仁間切りより12村を分離して伊野波(ヌファ)間切りを新設したときの歌碑であり、番所が置かれたといいます。
その集落の小高い茂みに小さな坂道がつづいています。
そこが、古典音楽や民謡で歌われている伊野波節(ヌファブシ)で名高い「伊野波の石くびり」です。

 ぬふぁぬいしくびり   
  んぞちりてぃぬぶる   
                              
 にゃふぃん いしくびり 
  とぅさあらな

歌の意味は、「伊野波の石ころ道の坂は、大変難儀な道だけど、愛する人と連れだってお互いに語り合いながら行くときはもっと遠くあってほしいと思う。」との恋歌です。
「石こびれ(石くびり)」は石ころ道の坂の意味、「にやへも」はもっと、「あらな」はあってほしいという意味です。

folk_001_01.jpg伊野波生まれの男性と伊豆味生まれの女性とはお互いに相思相愛の仲で、夜は女性と共に伊野波集落に泊まり、翌朝早く女性を連れて石くびりまでやってきました。
鬱蒼としたその小道は、幅も三尺(さんじゃく)足らずの坂道で、奥へ行けばいくほど小石まじりの急な坂です。
人目を気にしないでいられる格好(かっこう)の場所なので、二人は互いに熱い思いを語り合いながら歩いてやってきます。
しかし石くびりを過ぎると、やがて、「あとうい(後を追う)の峠」にさしかかります。
そこからは伊豆味の境界に入り、村人の目にかかると困りますので、二人はここで止むなく別れねばなりません。
そんな若い二人の恋する気持ちと別れの切なさを、見事に詠(よ)んだのが「伊野波節」であると語られています。

folk_001_03.jpg様々な諸説があり、未だ確定した説には至っていませんが、「伊野波節」は古典音楽の中でも珍しい本調子(ほんちょうし)の独唱(どくしょう)の節歌で、その歌唱(かしょう)は大変高度な技を要求されます。
舞踊も最も難しい女踊りとされています。

伊野波集落の小高い丘の鬱蒼とした茂みの小さな坂道は、現在も昔の面影をとどめています。
その入口から約50メートルほどのところには「伊野波節」の歌碑(かひ)が立っていて、古典的なロマンスを今に伝えています。
 
スポット情報

名  称  伊野波の石くびり
連絡先  TEL 0980-47-2700(本部町役場産業振興課 )
住  所  沖縄県国頭郡本部町伊野波
アクセス  那覇空港から車(一般道)で約120分 沖縄自動車道許田ICから車(一般道)で約40分
料  金  無料
設  備  なし
駐車場  なし
身障者設備  車椅子不可
営業時間  見学自由

本部町町制施行60周年記念写真展

◆本部町町制施行60周年記念写真展


本部町制施行60周年記念写真展
あの日 あの時 あの頃 (本部のオバー)



本部大橋をのぞむ風景。沖縄八景の一つに選ばれたのは、昭和初期の頃である。

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=教 育=

一人八一(明治十五)年、村や島に学校が造られるようになり、一般の子ども達も学校に通うようになったが、本部間切では渡久地に本部小学校一校しかなかったので、遠く伊豆味や謝花、瀬底などからも通っていた。明治の終わり頃までには、本部尋常高等小学校のほかに、謝花、瀬底、伊豆味、崎本 部など町内に五つの小学校ができた。一九四一(昭和十六)年になると、学校の名前も尋常高等小学校から国民学校と変わった。戦後は、郷土の再建と復興への期待を込め、父兄、地域住民が一丸となって学校づくりに取り組んだ。



明治時代の本部小学校の生徒と教師


戦前の本部尋常高等小学校(現長役場)1932(昭和7)年頃


戦前の謝花国民学校(現謝花町住宅)1941(昭和16)年頃


瀬底尋常高等小学校1937(昭和12)年頃


終戦まもない頃の本部小学校の学芸会(現本部中グランド)1950(昭和25)年頃


戦前の伊豆味国民学校1941(昭和16)年頃


戦後間もない頃の伊豆味校1951(昭和26)年頃


浜元小中等学校1951(昭和26)年頃


1951(昭和26)年頃の伊野波小中学校(現ドリーム保育園、町営住宅)


開校当時の本部高校 まだ造成中である1967(昭和42)年頃


本部小学校建堅分校


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=風 景=

本部町は古くから港を中心に発展して来た。大正から昭和の初期頃は渡久地十字路あたりから谷茶あたりにかけては、とても静かな浜が続き、山の麓の平地にわずかばかりの茅葺き家が建っていた。 渡久地港が港として整えられたのは一九三四(昭和九)年のことで、それ以前はやんぼる船の出入りが多く、自然の港として利用された。戦後も伊平屋、伊是名、伊江島への航路として利用された。


昭和初期の渡久地港


大正時代の渡久地港(現本部中学校、渡久地保育所ー帯)


戦前の沖縄八景に選ばれた渡久地の町並みと渡久地港 昭和初期


三月毛(渡久地神社の上)から見た渡久地港1947(昭和22)年頃


大浜地先の埋め立て工事1970(昭和45)年頃


終戦直後のPT(ポートターミナル)と呼ばれた谷茶と渡久地港1947(昭和22)年


採取された土砂は本部中学校のグランドの埋め立てに使われた
渡久地港の浚渫1960(昭和35)年


現国道449号線(浜崎漁港入口付近)1953(昭和28)年頃


現県道114号線沿いの垣内集落1960(昭和35)年頃


崎本部の風景1963(昭和38)年頃


開幕前の海洋博会場


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=戦 時=

一九四一(昭和十六)年一二月八日、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した日本は、米英に宣戦を布告して太平洋戦争がはじまった。 当初日本軍の破竹の進撃に国民は歓喜したが、日本の十数倍の物量を有する米英に圧倒され戦況は悪化、政府は国家総動員体制を強化したが、次第に国民の生活を圧迫 していった。 そして、一九四五(昭和二十)年四月ついに米軍は沖縄本島に上陸、住民を巻き込んだ 地上戦が三ケ月にわたって展開された。


伊豆味における村葬1938(昭和13)年頃


本部町役場(現安田自転車店一帯)と三役1940(昭和15)年頃


本部町軍人遺家族副業講習会1941(昭和16)年

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=慰問袋=

戦地の兵士を慰問するために、家族や恋人らが日用品や娯楽品を入れて送った布袋。中には武運長久のお守り、薬品、タバコ、セッケン、缶詰などの日用品や雑誌、手紙(慰問状)などが入れられた。



本部町銃後報公会慰問袋包装1941(昭和16)年


出征記念


監視哨を慰問した浜元の青年団1942(昭和17)年


本部女子警防団 中央は嘉数町長と隅崎渡久地警察署長1941(昭和16)年頃


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=監視哨=

太平洋戦争の時、見晴しのよい所に敵の艦船や飛行機の機種や方角、数等を監視するために建てられた見張り台。本部(もとぶ)には谷茶の丘の上に昭和16年に造られた。



谷茶にあった監視哨(現特別老人ホーム本部園下)


10・10空襲 1944(昭和19)年10月10日朝、米軍機の攻撃を受け、炎上する渡久地・瀬底国民学校


米軍の砲撃を受ける真部山


清未隊の慰霊の塔と壕から掘り出された清未隊の使用した大砲(合成)

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=産 業=

本部(もとぶ)は古くから半農半漁の町で、とりわけ鰹業は本部の経済を支えてきた。鰹業は明治の頃から始まり、大正十三、四年には大小四十隻近くの鰹船が操業していた。 鰹の時期になると、港は鰹を満載した船が出入りし、鰹節工場は鰹節の製造で活気に溢れていたが、時代とともに衰退の一途を辿り、今では第十一得用丸ただ一隻が操業しているだけである。


かつお節製造風景(骨抜き)1994(平成6)年


かつお節製造(日干し)1957(昭和32)年頃


かつお節製造(整形)1957(昭和32)年頃


かつお節工場と本部漁業組合1955(昭和30)年頃


かつおの一本釣り


琉球果樹園株式会社(パイン工場)


瀬底の製糖工場1955(昭和30)年代

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=団 体=


大衆浴場落成記念伊豆味区全青年団1941(昭和16)年


渡久地区消防団員と消防車とサイレン塔(現宮城呉服店)1956(昭和31)年


谷茶区消防団と消火ポンプ格納庫(左の茅葺き)


崎本部区の消防団1960(昭和35)年頃


東区消防団 当時は、各字にこのようなサイレン塔があり、手押しポンプが配備されていた。


浜元消防団


東区の一般陸上競技会出動者記念1950(昭和25)年頃


渡久地青年団の優勝写真

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=行 事=


本部町役場謝花支所の開所式 
握手する本部町長並里安博氏と旧上本部村長仲村松秀氏1971(昭和46)年


海洋博の開会式でテープカットをする長並里安博町長と本部町の最長老の古堅マヅルさん
(当時102歳)


瀬底島への海底送電・送水完成祝賀会1981(昭和56)年


本部のかつお漁を考えるシンポジウム1994(平成6)年

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=祝 祭=


本部町役場落成祝賀会場(現在地)1948(昭和23)年


祝賀会風景


具志堅区のシヌグ1941(昭和16)年頃


88才(トーカチ)祝い1955(昭和30)年頃


東区青年会のエイサー1950(昭和25)年頃


本部小学校第1回同窓会余興の渡久地区のエイサー1952(昭和27)年


第1回本部町商工際パレード 本部半島を1週


渡久地港の貿易港指定を祝って盛大な祝賀会が催された1955(昭和30)年


合併祝賀パレード


本部町・上本部村の合併祝賀闘牛大会1971(昭和46)年


渡久地区の綱引き・牛若丸と弁慶1978(昭和53)年


瀬底大橋の開通・渡り初め1985(昭和60)年

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=生 活=

昭和前期の沖縄はそてつ地獄といわれるほど人々の生活は苦しかった。そのような状況の中、日本は次第に戦争への道へと進んでいき、ますます人々の生活を圧迫していった。沖縄戦ですべてを失った人々は、まさにゼロからの出発であった。荒れ果てた郷土を一日も早く復興し、豊かな生活を求めて日々精進してきたのである。


終戦直後の本部のマチグァー1947(昭和22)年頃 ジュラルミン製の鍋が所狭しと並ぶ


本部のマチグァー(市場)1980(昭和55)年頃 朝早くから威勢のいいオバさん達の声が響く


崎本部の集落1965(昭和40)年頃


昭和初期の豪農の瓦葺き(伊野波区のグラヤー)1953(昭和10)年代


戦前の炊事場(カマド) (坂本万七写真集より)


ウヮーフル(豚舎と便所)


戦後の農家の炊事場


大正~昭和初期の渡久地港に浮かぶサバニと山原船


瀬底区民の足として活躍した第5瀬底丸1984 (昭和59)年頃


ターグを担ぐ女性1960(昭和35)年代 昔は井戸から水を汲むのは女性や子供たちの仕事であった。


天水タンクとミジガーミ1960年代 
水道が普及する以前は、天水(雨水)をトイでタンクに溜めて日常の生活に用いた。 


水納島渡船(水納丸)1965(昭和40)年頃

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2007年08月13日

もとぶリンク集

◆もとぶリンク集

CANACのホームページ

http--www10.plala.or.jp-photo_photo-

http--www2.tontonme.ne.jp-users-ikada-yado.html

On the beach LUE

【楽天市場】沖縄県・本部町産:アセロラ:アセロラ倶楽部

いずみが森

もとぶ元気村

ゆがふいんBISE

ようこそ!クロワッサンアイランドへ!!

アセロラ、沖縄県本部町

アセロラの里:沖縄県本部町の特産品、アセロラ販売

ゲストハウス ニライ荘|motomate!!(モトメイト)

ショッピングにグルメに。素通りできないやんばるの旅。『やんばる 海の駅』へようこそ。

スキューバダイビング-沖縄本部・ファイブオーシャン

スナックパリ

ネイチャーリゾート やんばるホテル&ファーム

パパラギ王国

ベルビーチゴルフクラブ

ペンション海風

ホテルゆがふいんBISE-やんばる亜熱帯の自然に包まれるコンフォータブルリゾート-沖縄県本部町備瀬

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マザー・アース 沖縄

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沖縄県国頭郡本部町-沖縄リンク集

沖縄県国頭郡本部町 ようこそわが街へ

沖縄県本島北部に位置する長期滞在型ウェルネスリゾート  ホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワ

沖縄美ら海水族館

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海洋博覧会記念公園管理財団

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琉宮城蝶々園

琉球古民家ちゃんや~

農業生産法人 株式会社もとぶ牧場

通信制高校 八洲(やしま)学園大学国際高等学校 トップページ

高速船みんなの時刻表

2007年08月15日

会社概要

私は、28歳に沖縄を出て本土で30年生活をしてきましたが、平成16年11月に故郷のもとぶ町にUターンをして来ました。
約2年間、移住者の方たちと交流する中で生活習慣の違いから地元になじめない新たなストレスを生み出しているのではないかと感じています。
本土生活30年と、もとぶ町での生活30年の両方の体験を生かし、移住者の方々にストレスが無く安心して「もとぶ町」で生活が出来るお手伝いはできなかと思い、支援サイトとして「e-motobu.net」を立ち上げました。
本土の都会の方々は、時間に追いたてられ、ストレスが増大し、余裕の無い現代社会の中で精神的な豊かさが実感出来ない状況の中、田舎暮らしにあこがれるようです。
今や空前の沖縄ブームです。
テレビ番組やインターネット、雑誌等で沖縄移住が頻繁にとりあげられ、団塊の世代の方々の大量退職の時代背景もあり、沖縄に移住することが大きなブームになりつつあります。
沖縄を好きになった人達が口を揃えて言うのが、きれいな海、ゆったりとした時間の流れと人々の人情に触れる心地良さを感じるからだそうです。
沖縄は強烈なアイデンティティーに裏付けされた独自の風土と文化、風習を持ち続け、人のやさしさ、情の深さに触れると、本土の都会では忘れ去られた、数千年続いていた日本人の精神文化の根源である縄文文化的なところを沖縄は感じさせてくれます。
特に本部町の風景は、樹木に包まれた山々があり、沖縄では数少ない川が流れ、青い海に真っ白な砂浜、海底にはすばらしい珊瑚礁、橋のかかった瀬底島、水平線には水納島と伊江島が浮かび、島と島との間に沈み行く夕日は最高の幸福感が味わえる癒しの絶景です。
しかし,楽園の島沖縄も観光と暮らす生活とは大きな違いがあります。移住をしていざ暮らすとなれば、文化、風習や慣習、常識に馴染めず短期間でリタイヤをする方も少なくはありません。
沖縄県民は、大らかな心は持ちながらも、親戚や地域コミュニティーの結束は強く、よそ者には排他的なところもあります。
その為に私は、移住者の方々と地域住民とのクッション役を担う会「もとぶ結之会」(もとぶゆいのかい)を2年前に立ち上げ、移住者の方々と地元の交流の輪がどんどん広がっています。
日経新聞で「これから良くなる町」として、もとぶ町は全国で第4位にランク付けをされ,あらゆる面で注目をされてきました。
特に、幼少期の子供を育てる環境は、大自然に恵まれており、魅力ある人間を作り上げる最高の教育環境が備わっていると思っております。
我社は、さまざまな角度から移住者の皆様にお役に立てる支援体制が整っております。いつでも「e-motobu.net]移住よろず相談からお気軽にご相談下さい。
美ら海水族館の町「もとぶ町」へ多くの人々が移住し、すばらしい人生を創り上げるように心から歓迎致します。

社  名 有限会社アルマジャパン
設  立 1994(平成 6)年 11月設立
事 業 所 本社  沖縄県国頭郡本部町浦崎176 浦崎ビル1F
本店  沖縄県国頭郡本部町山里150番地
資 本 金 4,200千円
事業内容 セールスプロモーション事業
各種イベント企画事業
健康美容事業
情報処理サービス事業
第二種電気通信事業
沿  革 1994年(平成 6年) 11月 香川県高松市にて設立
1999年(平成11年) 5月 香川県頭脳化センターに本店移転
2002年(平成14年) 4月 香川県高松市林町に本店移転
2005年(平成16年) 11月 沖縄県本部町山里に本店移転
2006年(平成18年) 12月 沖縄県本部町浦崎に本社開設

沖縄の最低賃金

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沖縄県内すべての事業所で働く労働者の最低賃金です。
求人情報などでも紹介されますが時給610円が現在の最低賃金となります。
一般社員・パート・アルバイトなどすべての方に適用されます。
雇い主側は、この最低賃金より低い賃金で雇用・使用できません。
各県地域により最低賃金が異なります。また特定の産業によっても若干異なります。

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沖縄県最低賃金 時給 610円

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畜産食料品製造業 時給 651円

糖類製造業 時給 659円

清涼飲料、酒類製造業 時給 653円

新聞業 時給 694円

各種商品小売業 時給 643円

自動車小売業 時給 642円

※但し、18歳未満または65歳以上、或いは雇い入れ後6ヶ月未満の者で技能修得中、主に清掃・片付けの業務従事者は 地域別最低賃金が適用されます。

また、精勤手当・皆勤手当・通勤手当・家族手当、臨時に支払われる賃金、箇月を超える期間ごとに支払われる賃金、時間外割増・休日割増等の賃金は最低賃金に参入されません。

詳しくは 沖縄県のホームページをご覧ください。
http://www.pref.okinawa.jp/rosei/
shiryo/saitin/h14chingin.html

About 2007年08月

2007年08月にブログ「新:沖縄移住のことならいーもとぶ.net」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年07月です。

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他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

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